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中医学と西洋医学 ━中西医結合への道━ 村田恭介著

村田恭介著
 (1)医学領域における「科学」としての中医学 (2)中西医結合への道―脾胃を例として― 
 (3)中西医結合への道 (4)ミシェル・フーコーやロラン・バルトが中医学を知っていたなら 
 (5)ロラン・バルトが期待していた徴候学(セミオロジー)とは中医学における病機(≒証候名) 相互リンク集 

中国古代の陰陽五行学説を構造主義科学として理解することから見えてくる中西医結合の方向性を説く

フランスのポストモダニストたち、とりわけミッシェル・フーコーやロラン・バルトが中医学の実体を知っていたなら、西洋医学は大きく変わっていたであろう

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 中医学における五臓間の整体関係については、五臓の組織構造は連繋して一体化し、機能活動は相互に協調しあっているので、五臓を関連づけて分析し、整体関係に注意してはじめて、症状に対する認識を見誤ることなく有効な施治を行うことができる。それゆえ他臓の疾病に対する脾胃の論治や、脾胃の疾病に対する他臓の論治など、実際の臨床では日常茶飯事である。

 このような五臓間の整体関係を重視する中医学は、スイスの言語学者ソシュールを先駆とする「構造論」的な分析が可能である。つまり、言語の様相を体系的にとらえ、各言語間の機能的連関を明らかにして言語の法則を追求する「構造言語学」を主要なモデルとする科学的な分析方法、すなわち「構造主義」を立脚点とし、中医学の検証とともに実践的な発展方向の追究が行えるのである。

 たとえば、個々の既成方剤が適応する症候の構造分析による「病機と治法」の再検討-依法釈方-、個々の既成方剤の配合薬物の構造分析による「病機と治法」の再検討-依薬釈方-など、その他にも構造論的に分析検討すべき領域が余りにも多いので、ここでは序論的な部分のみを述べておきたい。

 フランスの高名な精神科医ジャック・ラカンは、ソシュールの言語学をモデルとして、「無意識は言語のように構造化されている」という命題を出発点としたが、

生体内の生命活動も言語のように構造化されている」と言える。

 それゆえ、五臓相関の「陰陽五行学説」は構造主義的な科学理論であると言えるのである。そこで、中医学から見た人体の基本構造は「五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形」であり、病態認識の基礎理論となるべき構造法則は「陰陽五行学説」にほかならない。

 この陰陽五行学説にもとづく「中医学理論」こそは、よりハイレベルな構造法則を求めて常に発展し続けていく必要がある。今後の課題としては、ミクロ的な部分で優れた視野を持つ西洋医学の成果を、中医学の欠を補うべく、どのような形で吸収すればよいのか、という大きな問題が残されていよう。

 とは言え、少なくとも『医学領域における「科学」としての中医学』と合わせて検討して頂ければ、近い将来にも中医学や中医漢方薬学が「構造主義的中医漢方薬学」として認知され、マクロ的には非科学的ではあるがミクロ的な部分で優れている西洋医学をより有効に活用すべく、中医学に吸収合併する形で結合すべき事態の必然性と必要性が見えて来るはずである。

 けだし、フランスのミッシェル・フーコーの著作『臨床医学の誕生』(みすず書房)やロラン・バルトの『記号学と医学』(みすず書房「記号学の冒険」中の論文)で行われた西洋医学に対する構造分析は、極めて示唆に富むものではあるが、整体観の欠如した西洋医学が対象であっただけに、不満足な成果しか得られていないように思われる。
 たとえば、ロラン・バルトが『記号学と医学』の中で、
徴候学(セミオロジー)と名のついた書物を見れば、医学的な記号学(セミオロジー)=徴候学(セミオロジー)のいくつかの原理を容易に引きだすことができるだろうと思っていた。ところが、そうした書物は、私に何も教えてはくれなかった」と述べているように。

 さらにはバルトもフーコーも、「病気を読み取るということは、病気に名前をつけることなのである」と指摘しているが、西洋医学的な病名=診断名を示すことで、果たして十分に「疾病の本質」が読み取られていることになるのだろうか。病名を提示できても、医学的な実践としての治療を満足に果たせない現実も多いことは、先述のバルトの落胆の言葉の裏返しに過ぎないように思われる。

 いっぽう中医学においては、病気を読み取るということは「病機を把握すること」であり、病機は徴候(一連の症候)にもとづいて把握され、病機を正確に把握できれば、治療方剤もおのずと決定され、治療効果も比較的高い。このように、中医学では医学的な実践としての治療が、病態認識に連動して行えるように体系化されているのである。

 ロラン・バルトは、一九七二年に発表した前述の『記号学と医学』において、 「今日の医学は、いまもなお本当に記号学的(セミオロジー的)=徴候学的(セミオロジー的)なものなのであろうか?」と、西洋医学への問いを残しているが、二十三年後の今日、飛躍的に高度化した西洋医学にとって、極めて意味深長である。

 それにしても、フーコーやバルトがさらに中医学をも対象として、記号学=徴候学(症候群 ≒ 一連の症候 = 証候 = 証)を研究していたなら、「中西医結合」の合理的な実現可能性のある理論を提示できていたことであろうにと、悔やまれるのである。

 構造主義であれポスト構造主義であれ、解釈学に終始して将来に向けての発展的な提言がなければ、価値も半減というものであろう。

構造主義的中医漢方薬学論




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