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 (1)医学領域における「科学」としての中医学 (2)中西医結合への道―脾胃を例として― 
 (3)中西医結合への道 (4)ミシェル・フーコーやロラン・バルトが中医学を知っていたなら 
 (5)ロラン・バルトが期待していた徴候学(セミオロジー)とは中医学における病機(≒証候名) 相互リンク集

ロラン・バルトが期待していた徴候学(セミオロジー)とは、中医学における病機(≒証候名)であった!


 弁証論治における弁証の世界では、四診によって認識される一連の症候にもとづいて把握される「疾病の本質(病機≒証候名)」を構造とみることができる。このときの構造(病機≒証候名)は、要素集合(一連の症候)に構造法則(中医学理論という文法)を用いて解読する仕組みになっている。つまり、

 構造(病機<疾病の本質>)=要素集合(一連の症候)+構造法則(中医学理論)

 と定義することができる。〔勁草書房発行・上野千鶴子著『構造主義の冒険』の15頁参照〕

 けだし、構造主義科学論の視点から見ると、中医学には「整体観」という構造論的な視点が既に確立しているのに比べ、西洋医学においては―ミクロ的にはともかく―マクロ的には構造論的な視点が比較的乏しく、このために西洋医学は非科学的と言われてもしかたがないのである。したがって、現在の西洋医学においては、

 構造(病名<疾病の本質>)=要素集合(諸検査を含めた自他各症状)+構造法則(西洋医学理論)

 という関係式は成立し得ていない。

 つまり、西洋医学には全体系を支配する構造論的観念が欠如しているために、西洋医学理論は構造法則としての文法が不完全なものであり、それゆえに西洋医学における病名は、構造分析によって導き出される「疾病の本質」を表現するものとしては、常に不完全なものでしかない。ロラン・バルトが嘆かれたのも当然なことである!

 それゆえにこそ、整体観の確立した中医学に、西洋医学を吸収合併させるべきであろうと、村田恭介は提唱するのである。ロラン・バルトやミシェル・フーコー等が、中医学を村田レベルにでも知っていたら、きっともっとスケールの大きなことを提案したに違いないのである。

 なお、中医学における記号学的な考察が別ボタンの『村田恭介主要論文集』の「No.012 脾湿についての考察」の中の一部にあるので、これをご参照願いたい。これをロラン・バルトが見たら、大喜びされたに違いない。

●「記号学的な考察」>>>⇒「病機の呼称における記号学的な問題点